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小金井京子先生のひとりごと その5  

日本語脳……日本人は、日本語をどのようにとらえているのか?


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カフェなどで一人集中していると、周りの騒音が聞こえなくなる時がある。それからしばらくして集中が解けたあと、ふと聞こえてきた言葉が聞きなれないものに感じられ「ん?何語だ?」と思うことがある。さらに耳を澄ませていたら、何のことはない、日本人同士の日本語会話だったりする。日本人のわたしが日本語を聞いるのに、それが日本語と分からない瞬間があるのである。


さて、わたしたちは日本語をどのようなものとしてとらえているのだろうか?何を基準にその言葉を日本語だと思ったり、日本語ではないと思ったりするのだろうか。その境界線は一体どこにあるのだろう。

文字であるなら、ひらがなやカタカナを見た時点で、すぐにそれが日本語だと判断ができるだろう。では、音声の場合はどうだろうか?


高低アクセント、それから清音と濁音、短音と長音、促音、拗音などが日本語の聞き分けのポイントとなるものであろうか。

「きってください(切手ください)、きってください(切ってください)」

「きてください(着てください)、きてください(来てください)、きいてください(聞いてください)」

「はかばかしい(捗々しい)とばかばかしい(馬鹿馬鹿しい)」

「はと(鳩)、はあと(ハート)、はっと(ハット)」

「びょういん(病院)とびよういん(美容院)」……


カフェでボーとしている間、わたしの「言葉を聞くスイッチ」はoffになっていた。しばらくして集中が解けて、音は聞こえてきたが「日本語を聞くスイッチ」はまだ入っていなかった。それからまたしばらくして「あ、日本語だ…」と気づいた瞬間にようやくそれがonになり、言葉の意味がすんなりとわたしの頭に入ってくるようになったのである。


わたしはこの一連の反応をするものを「日本語脳」と呼んでいる。「日本語脳」のスイッチが入ると、これまでに得た日本語に対する語彙や文法知識などの情報が、総動員でわたしを正しい理解に導いてくれるのである。


さて、日本人のわたしたちは一体どれぐらいの時間と精力をかけてこの「日本語脳」を作ってきたのであろうか。それを持っていない(日本語を母語としない)人々はどのように学習してそれを作っていくのだろうか…。


わたしたちが外国語を学ぶ際、「ネイティブのように話せるようになりたい」とよく口にするが、それは、新しく学ぶ言語でこうした「~語脳」を作っていくことなのである。

 
 
 

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