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小金井京子先生のひとりごと その9

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言葉の向こう側 …… われ思うもの、彼思うもの

 

ようやく秋らしくなった風の中に、鼻をくすぐる甘い香りがした。金木犀だ。わたしはこの香りを嗅ぐと「ああ、お墓参りに行きたい」と思う。

わたしの中には、「金木犀 ―― 彼岸 ―― 墓参」というルートがずいぶん前に出来上がっていて、それが金木犀の香りとともに繰り返し想起されているのだ。

 

さて、みなさんが金木犀の香りを嗅いだ時には、どんなことを思うのだろうか?

「金木犀?知らな~い」「金木犀?わたしは銀木犀の方が好き」「“木须肉(mùxūròu)”の“木须”って確か、木犀の花のことだよね」「秋よね~」……

 

わたしの知人で中国料理のシェフをしている方が「金木犀が咲くころになると、よくあそこに花を取りに行ったな…」という話をしてくれた。そう、中華料理では金木犀は食材になるのである。桂花陳酒にあるこの「桂花」が金木犀だ。

 

言葉を交わしている時、わたしたちは自分の言いたいことに集中して相手の言葉をおろそかにすることがある。「自分はこう言いたい、こう伝えたい、わたしの思いをわかってほしい…」ということにとらわれ過ぎて。相手にも同じぐらいそうした思いがあるはずなのに、それを知らず知らず蔑にしてしまっているのだ。外国語で話している時はなおさらである。心に余裕などない。「わたしの発音は大丈夫?文法はこれで合ってるんだっけ?あ、あっちの単語使えばよかった…」と必死なのだから。

 

そして、心に余裕ができた時にふと考えたりする。「わたしは相手の言葉をきちんと受け取ることができていただろうか、わたしはその言葉の意味を十分に理解できていたのだろうか、自分の思いだけでその言葉を見ていたのではないだろうか。独りよがりになっていなかったか、間違っていなかっただろうか」と、そんな風に思ったりするのである。

 

秋の夜長。むかし読んで感動し、いつか翻訳したいと思いながら目の前の仕事に追いやられて放り出されてしまっていた本を久しぶりに手に取ってみよう。ゆるゆると文字を目で追いながら、気になった言葉について考えてみよう。

その言葉はいつの時代に使われたものであるのか。その地域では、年中行事など何か特別な意味があったのではないだろうか?季節は?空気は?味は?作者個人の、何か思い入れはないだろうか?などなど、自由に楽しくゆるりゆるりと漂うように頭をめぐらせてみることにしよう。

 
 
 

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