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『相见欢(そうけんかん)』李煜

masumi.h

更新日:2022年10月16日

『相見歓』李煜 テレサ・テンの歌うこの曲、カラオケで必ず歌うのですが歌詞は南唐最後の王、李煜の『相見歓』という「詞」なのです。


南唐は、遣唐使で有名な唐王朝が907年に滅亡したあと、五代十国という混乱期に誕生した地方政権の一つでした。


首都は金陵、今の南京で、李煜の祖父李昪(り・べん)が937年に唐の皇族の末裔と称して唐を建国しました。


しかし、正式な「唐」王朝ではないために、のちの人々に「南唐」と呼ばれたのでした。

二代目の李璟は、文才に秀で、10歳で詩を吟じたそうです。隠遁を希望したものの、父の後を継いで即位。『応天長』『望遠行』など「詞」がまだ文学的に認められていない頃に優れた作品を残しました。

今回の主人公、李煜は、李璟の6番目の王子で、文才豊か。本来帝位継承からは遠かったものの、兄5人が早世してしまったため父の後を継ぎました。

中国史に残る素晴らしいダメ君主。政治はそっちのけで、歌舞楽曲に浸り続けました。

妻と共に唐代の名曲を復元にいそしんだり、古今の書画をコレクションしたり、名工に文房具を作らせたりすることに情熱を燃やしたようです。

特に「詞」の分野で多くのすぐれた作品を残し、父の代ではまだ遊興のひとつとされていた「詞」を芸術の領域まで高めたことで知られています。


さて、乱世の時代に王子として生まれた李煜、王様になった最初の頃はよかったものの、ほどなくして国が傾きます。

とうとうある日突然、全く戦いもしないで隣国に連れ去られ、宋の都に幽閉されてしまいます。

3年間の軟禁生活を送った後、41歳の時に誕生日祝いの酒に毒を盛られて殺されてしまうという悲劇の人生でした。この詩はそんな寂しい軟禁時代に書いたものです。

xiāng jiàn huān

相 见 欢

lǐ yù

李 煜

wú yán dú shàng xī lóu yuè rú gōu

无 言 独 上 西 楼 月 如 钩

jì mò wú tóng shēn yuàn suǒ qīng qiū

寂 寞 梧 桐 深 院 锁 清 秋

jiǎn bú duàn lǐ hái luàn shì lí chóu

剪 不 断 理 还 乱 是 离 愁

bié shì yī bān zī wèi zài xīn tóu

别 是 一 般 滋 味 在 心 头 

言(げん)無く西楼(せいろう)に上(のぼ)れば

月は鈎(かぎ)の如し

寂寞たり梧桐(ごとう)の深院(しんいん)

剪(き)れども断(た)たれず

理むれ(おさ)ども還(ま)た乱(みだ)る

是(これ)れ離愁(りしゅう)

別(べつ)に是(こ)れ一般(いっぱん)の滋味(じみ)

心頭(しんとう)に在(あ)り


西楼の「西」は五行思想では「秋」を表します。 「秋」は実りの季節であると同時に農耕していた漢民族にとっては、異民族に収穫を奪われる季節でもありことから「厳しさ」「戦争」「刑罰」という暗いイメージがある言葉です。 たった一人黙りこくって寂しい西の楼を上れば、空には三日月がかかっているという寂しい光景です。爽やかな季節でもありますが、寂寞とした庭には梧桐(アオギリ)がところ狭しと生い茂り、爽やかな秋風を閉ざしています。 「鎖」とは閉ざすという意味で、「鎖清秋」は大きな邸宅を表すのによく使われる表現です。


次々と湧いてくる想いを断ち切ろうにも断ち切れない、気持ちを収めようとしても、乱れてしまう…。「離愁」とは、故郷から拉致され遠く離れて暮らしている悲しみの気持ちです。


「別是」は「別有」とテレサ・テンが歌っていますが、そのほかに~があるということです。 ここでの「一般」は日本語の意味ではなく「一つの」という数量詞で「別有一般滋味」とは 「何とも言えない想いが心に一つある」と言っています。 「滋味」と表現された「言葉にならない想い」というのが意味深いですね。 恐らく、若く楽しかったころの想い出なんかもあるのでしょう。


ただ悲しい、とだけでは言い切れない複雑な想い、ということでしょう。


お殿様、お姫様の暮らしを体験したことはありませんが、華やかで賑わいに満ちた宮廷生活から一転して、最低限の衣食住は与えられているとはいえ、話し相手もいない軟禁生活を強いられたなら、どれほど心寂しいかは想像がつきますね。 寝ている間に、昔の宮廷生活の夢を見たりして、朝目覚めたら「あれ?ここはどこだ?我が宮中じゃないのか?」と落胆することもあったのではないでしょうか。


李煜の詩は不思議なほど、他人に対する恨み憎しみがありません。

まるでそんなドロドロした感情を漉しとったかのように感じられます。


ふと、李煜という人は、自らの特異な運命を人生のどこかで「逃れられない運命」と深く受け入れていたのではないか、と思えてきました。


もしかするといやいやながら皇位についた時だったかもしれないし、文学をたしなむ中で、古来から伝わる数々の栄枯盛衰の物語のなかに自らの運命を重ねたのかもしれません。


「滋味」という言葉で表現された複雑な想いとは「とっくに諦めている」気持ちと「それでもあきらめきれない気持ち」の「狭間を行き交う心の揺れ」だとしたら、殿や姫でなくとも人間をやっているすべての人が共感できるのではないでしょうか。



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