健さんの輝かしい二十年の振り返りと共に私の二十年も振り返り、感慨深いひとときでした。
「幸せな小金持ちへの8つのステップ」という小冊子をを無料配布することから始まった健さんの作家人生、私も18年前にその小冊子を手にしていたのでした。 当日まだ0歳児を抱えていた私、小冊子から伝わるふんわりしたあったかい感じに、それまでお金に頂いていたイメージが変わり始めました。 それからずっと、メルマガを読ませて頂いていたのでした。
あの頃の自分は、18年後に息子が大きくなった姿も、そして本田健さんと素晴らしいお嬢さんに中国語のレッスンをさせて頂いたり、オリジナルソングの翻訳もさせて頂いていさることも全く想像だに出来ませんでした。 2017年に健さんが中国語を始めるというお知らせをメールで見た時は、とてもビックリしたことを覚えています。
私は13歳の時、漢詩を原語で読んだ音を聞いて中国語の美しさに魅了されました。 また、当時「大黄河」という番組で、黄土高原の貧しい農民たちの姿を見たとき、なぜか直感的に中国の計り知れないパワー感じ、「中国は世界一なる」と思い、それからずーっと中国好きは変わらないのですが、家族の中でも学校でも、友達の間でもいつも“変わってる“と言われる存在だったからです。
健さんは神戸の中華街の近くで育っていつも中国が憧れの国だったそうです。 そんな健さんと2017年にお会いすることができ、オフィスに伺ってポイントレッスンもさせて頂くことができました。 それから、上海に一緒にいかせて頂いたり、人生を変える方とのご縁を繋いで頂いたり、健さんに頂いた御縁の大きさに感謝で胸がいっぱいです。
2019年からは本格的に学ばれたいとのことで、弊社のVIPコースをご受講頂き、今では 健さんのハッピーマネーのお話を美しい発音でスピーチ出来るまでになられました。 私の知る健さんは、正真正銘、努力の方です。 祝賀会では、20年を一言で振り返って言うと?とお嬢様に質問されて、皆んなに持ち上げられて「フワフワ」だったと答えていらっしゃいましたが、その陰でとても地道な、“素振りの練習”をひたすらに繰り返し、それを苦にしないという努力を見せていただいております。
よく人は「忙しい」を何かをやらない理由にします。 その筆頭が私名のですが。。
でも、本田健さんほど忙しい方が、地道な語学の練習を欠かさないということに、私を含む皆さんも、きっと勇気と励ましを頂けることかと思います。
最初お会いした時「広東人よりちょっと上手いくらいでいいって言ったけど、本当はもうちょっとうまくなりたいんだよね」と仰っていましたが、今では台湾の方より発音が良く、日本人ネイティブだと思われないことにならないか私が心配するほど、発音も上達されています。
私の周りの尊敬する方も、努力の行動を欠かさない方です。 すごい方のすごい結果は、やっぱり日々の小さな努力の積み重ねを淡々とやることに尽きるのだなぁ、と深く思いました。
また、会場には本田健さん、お嬢様の人生に影響を与えた素晴らしい方々が大勢いらっしゃり、とてもエネルギーが高かったです。 乾杯の音頭はきずな出版社長の櫻井先生がとられました。 91歳で矍鑠としておられ、ユーモアと気遣いと優しさを感じました。 20年。過ぎてみればあっという間ですが、健さんの冊子を手にしていた私の腕の中にいた、乳飲み子だった我が息子は18歳の青年になり、あの頃生まれていなかった娘は13歳のティーンエイジャーになりました。
私はいつもまだまだ道の入り口にいる感じがしましたが、健さんの祝賀会で、自分自身の20年後に期待して、やはり「安全な道」ではなく「冒険の道」を歩こうと心に誓ったのでした。
さて、Stellaさんの素晴らしい歌のステージのことはまた稿を改めて書きますね。
お読み頂き、ありがとうございました。
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