【李白 『蘇台覧古』と『越中覧古』】
唐代の有名詩人、李白。
作風は豪放で奔放で、大のお酒好き。
仙人にも憧れ、詩仙とも呼ばれています。
李白は数え年25歳の時、故郷(生まれは西域)の四川を 離れ、都長安を目指す旅に出て、長江を下ります。
仙人に憧れていた李白は道中、様々な人々と会い、色んな経験をしたようです。
各地を転々としたあと、長安に辿り着き、玄宗皇帝に気に入られ、宮廷詩人として活躍しますが、二年足らずで追放され、流浪の旅に出ます。
この二首は一説には、長安に至る前の721年に越中懐古を、727年に蘇台覧古を701年生まれの李白が数え年で27歳の時に作ったと言われています。
(追放された後の作品だとする説もあり)
呉越の戦いをテーマにした、組曲のような作品です。
作られた年代から言うと、蘇台覧古が一年後だったようです。
蘇台覧古を一行目から意味をみてみましょう。
sū tái lǎn gǔ
苏台览古
lǐ bái
李白
jiù yuàn huāng tái yáng liǔ xīn
旧苑荒台杨柳新,
「旧苑荒台楊柳新たなり」
旧苑とは、呉の宮殿、荒台とは王宮の庭園の建物です。
昔の王宮の遺構に、新たな柳の目が出て、ゆらゆらと風に揺られている様子が目に浮かびます。
líng gē qīng chàng bù shēng chūn
菱歌清唱不胜春。
「菱歌清唱春に勝えず」
菱の実を摘む若い娘たちの歌声が、春(の感傷)に耐えない。
zhǐ jīn wéi yǒu xī jiāng yuè
只今唯有夕江月,
「只だ今惟だ西江の月のみ有り」
西江とは、西を流れる長江のことか、蘇州を縦横に流れるれる川の一つかもしれませんが、今、李白の目の前にある川面を照らす月の姿が見えるようです。
この句は現在と過去が交差するところです。
céng zhào wú wáng gōng lǐ rén
曾照吴王宫里人。
「曾て照らす呉王宮裏の人」
華やかに着飾った宮廷の女性たちの姿をかつて月は照らしていたのだな。
王宮裏の人とは呉王夫差の愛妃であった西施その人を指しているのではないか、という説もあります。
さて、三句目の「春に勝えず」とは、意味がはっきりせずに、諸説あるようですが、恐らく、春の感傷に耐えられない、何となくたまらないなぁ、という気分のようです。
もっと遡れば、「楚辞」にも既に春を傷むという表現が出てくるそうです。
日本人は秋に感傷的になりますが、中国人は春に感情的になるようです。
傷春や「惜春」は女性的イメージで、漢詩の中によく出てきます。
愛する人と別れた女性の悲しみを表します。
惜春に対して、「悲秋」という言葉は男性のイメージで、戦争や刑罰を連想するそうです。
男性に取っては老いの悲しみより、自身の活躍を阻まれたり、成長や目標への努力が報われなかった悲しみの方が大きいのでしょうか。
『越中懐古』です。
意味を見てみましょう。
yuè zhōng lǎn gǔ 越中览古
yuè wáng gōu jiàn pò wú guī 越王勾践破吴归,
「越王句践(えつおうこうせん)呉を破りて帰る。」
越王勾践、呉を破って帰国した。
yì shì huán jiā jìn jǐn yī
义士还家尽锦衣。
「義士は家に還(かえ)るに尽く(ことごとく)錦(きん)衣(い)。」
兵士達は家に帰るのに皆錦衣を身に付けて帰った。
gōng nǚ rú huā mǎn chūn diàn
宫女如花满春殿,
「宮女は花の如く春(しゅん)殿(でん)に満つるも」
宮女は花のように宮殿に満ちていた。
zhǐ jīn wéi yǒu zhè gū fēi
只今惟有鹧鸪飞
「只(た)だ今惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有るのみ。」
しかし、今はただしゃこが飛んでいるだけだ。
越王勾践は日々嘗胆して、会稽の恥を忍んで、遂には呉王夫差を破ります。
二句目は勝利に酔った戦士達の勇ましい姿が目に浮かびますが、三句目は、呉王の後宮から連れて来た花のような宮女達がひしめく華やかな宮殿が見えてきます。
戦いに勝つまでは、と禁欲的な生活をしてきた越王勾践が、女性達を侍らして羽目を外していることが想像されます。
しかし、その栄華を極めた王宮も今では鷓鴣という鳥が惟飛んでいるだけの寂れた風景になっている、というものです。
華やかなりし昔も、今では全てがなくなってしまった。
この二首は歴史ロマンとニヒリズムが見事に合体していますね。
さて、鷓鴣と言えば、キジ科の鳥ですが、劉禹錫のなどほかの詩人の詩にも寂しさを連想する効果として使われています。
恐らくこの詩から取られたと思われる『鷓鴣飛』という横笛の曲があり、YouTubeで聞いてみましたが、やはり寂しげな感じがしますが、なかなか美しい曲です。
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