【李商隠 《夜雨北に寄す》】
作者の李商隠、日本人には聞き慣れない人物ですが、晩唐の官僚政治家です。
812年(813年説も)に生まれ、858年に47歳で亡くなっています。
良い家柄に生まれるも、10歳くらいの時に父親が他界します。優秀ゆえに援助してくれる有力者はいたものの、激しい権力闘争に巻き込まれ、役人としては出世できず不遇な人生を送りました。
時代を代表する詩人であり、妖艶で美しい詩風は後に大きな影響を与えました。
「なんだか現代の歌謡曲にもありそうな新しい雰囲気があるんですよね。
フォークソング風と言いますかね。」と恩師。
唐王朝末期の権力闘争に巻き込まれた、とは非常に不遇な感じもしますがそんななかで艶のある優美な詩を書いた李商隠という人物にムクムクと興味が湧きました。
李商隠は851年の7月に蜀(今の四川省)に派遣されています。
この詩は寂しい派遣先で生活中に詠まれた作品だそうです。
夜雨北に寄す 李商隠
君帰期を問うも未だ期有らず
巴山の夜雨秋池に漲る
何か当に共に西窓の燭を剪り
却って巴山夜雨の時を語るべき
※※解説
君がいつ帰るかと聞くが、まだ帰れる時期が わからない。
辺鄙な四川の片田舎のに激しい夜雨が降り
秋の池に水が満々と漲っている。
西向きの居間のランプの燃えかすを切りつつ
(夜更かしをしながら)、昔を思い出しながら、あの時は寂しかったんだよ、
と一緒に話せる時がいつ来るだろうかな。
※※
確かに、男性の口から君と一緒に夜更かししながら、あの時は寂しかったなどと話したいと言うのは現代風な感じがしますね。
表題の「寄北」とは、詩を書いて北の方の人に送ること、です。
当時、李商隠は現在の四川省におり、妻も親友も長安にいたので、北に寄す、と書いたわけですね。
一句目の君が誰なのか。李商隠は851年の7月に四川省に赴任したんですが、この年、奥さんも亡くなっています。
奥さんが亡くなって何ヶ月も経ってから、訃報を知ったらしいのですが、奥さんの死を知らずに書いたとしたらちょっと悲劇的で、切ないですね。
また、君が奥さんではなく親友の事だと言う説もありますし、奥さんとは別の存在かもしれないとの見方もあるようです。
三句目の西窓というのは、西向きの居間を指し、家庭的というかホームライクなイメージを醸し出すキーワードで、燭を剪るとは、油を燃やすランプの燃えかすを切ることを指します。
「剪西窗烛 」「西窗话语」
は成語として、夫婦間に限らず友人同士の間の会いたい気持ちを表す表現になっています。
原文を見ますと、一句目に期という字が二回も出てきます。
一般的に重ね字は避けるのですが、リズムを取るために敢えて入れる場合もあります。平仄も合っています。
また二句目と四句目に「巴山夜雨」も繰り返されています。
普通はくどいのにリズミカルで何かを切々と訴えるような感じがします。
同じ文句を繰り返しながら平仄はしっかり合わせています。
李商隠の詩は他の作品も典故が多く難しいそうですが、どこか現代人に通じるような共感を覚えます。
李商隠は字を義山、号を玉谿生、また獺祭魚と言うそうで、自らを獺祭詩人と呼んだそうです。
川獺(カワウソ)は取ってきた魚を川岸に並べる習性があり、それを人間が「カワウソの祭」と形容したことから、転じて、獺祭魚とは、多くの書物を並べて、調べて引用する人の様を言うようになったそうです。
獺祭と言えば、日本人にとっては山口県の美味しい日本酒を思い浮かべる方が多いと思いますが、私は、広げた書物があちこちに重なる書斎の片隅に獺祭の瓶とグラス、暖炉の火やランプの火ある光景をうっとり空想しています(笑)
さて、中学生の男子の母でもある私ですが、最近男の子の方が寂しがりやかな?と思うこともあります。
国を背負う官僚であれ、兵士であれ、みんな男の子の時代があったはず。
一人になったら寂しいにきまっているのです。
素直に俺はこんなにもに寂しいよ、って表現できる男性、素敵だなぁ、と思いました。
男性にこんなこと言われたら、女性の心も傾きますよね(^^)
しかし、メールやLINEはおろか、手紙すらまともに届かない時代だからこそ、ここに書かれた「君」とは一体誰なのか?
という想像も膨らむわけですね。
今の世の中みたいに、個人情報さえも白日の元にさらされていて、「君」が誰なのか特定されてなどいたら、何となく詩の味わいも損なわれるような気がするのは私だけでしょうか。
夜雨寄北
李商隐
君问归期未有期
巴山夜雨涨秋池
何当共剪西窗烛
却话巴山夜雨时
写真撮影 藤野彰氏
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