易经不是 万经之首,就是万经之始(源头) 日々、易経の学びに引き込まれています。
日本では、「易」と言えば「占い」、とイメージする人が多いですが、 いえいえそうではありません。
また、あらゆる論語や、道徳経などあらゆる古典の、 一番初めにあるものだ、という一般的な理解すら違うそうです。
あらゆる古典は、みな易経で述べている法則から始まったもので、 違う表現で言い換えたものだというのが、正しい「易経」の理解だそうです。
「この世の仕組み」とでもいうべき学問、ということがだんだん分かってきました。
しかしながら、解釈は非常に幅広く、人によって解説は様々です。
まさに、次の成語のようです。
rén zhě jiàn rén, zhì zhě jiàn zhì 【仁者见仁,智者见智】 〈成〉仁者は仁が目につき,智者は智に目を向ける; 「物事に対する見方は人によって異なる」という意味。
一生かけても研究しつくせないでしょうが、少なくとも これからの生涯かけて研究する価値のある書物だと分かりました。
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