【易経の学びより~なぜ王様は自分のことを寡人(guǎ rén/ かじん)というのか?】

更新日:10月16日

今朝も、易経の学びを30分しました。

短い時間ですが、得る物は大きいと感じています。

易経の基本的な考え方は万物は常に変化している、ということです。

季節に春夏秋冬があるように、一人一人の人間にも春夏秋冬があります。

そして、今の中国人にも浸透している考えの一つは 「物極必反」ということ。

日本語では「陰極まれば、陽に転ず」と言った方が 分かりやすいかもしれません。

成功の極みの時が最も危ない。

なぜなら、次は転落するしかないからです。

なので、中国人は「最高」を避け、 「我要跟好(もっとよくなりたい)」と いう表現をするそうです。

さて、テレビドラマや映画で、昔の皇帝が自分のことを 「寡人(guǎ rén)」と言っていますね。

「徳が足りない人、という意味です。」

実際の皇帝は、後宮に数えきれないほどの美女を召し抱え、 国の土地と人民とすべての財産を支配しているわけですから、 「足りない」ことなどないのです。

でも、「最高」の状態だといってしまうと、転落するのを恐れて、 「まだまだ足りない状態の人」と言っているそうです。

現代中国語では、幼稚園児から国家主席まで、 第一人称は「我」のみですが、古代は 日本語と同じように、たくさんの第一人称がありました。

現代中国人もなぜ、皇帝が自分のことを「寡人(guǎ rén)」というのか知らないそうです。

私の中国人の先生が、老子の道徳経の解説をしている台湾人の先生のお話しでつい数日前に知った、と教えてくれました。

私も長年の謎が氷解し、なんだかスッキリ嬉しい朝です。

閲覧数:1回

最新記事

すべて表示

唐の時代、科挙に合格し、役人になったものの、中央でうまく立ち回れず、役人を辞めて隠遁した常建という詩人がいます。 実際に辺境に赴いたことはないものの、空想で,壮絶な防人の歌を詠みました。 塞下曲 常建 北海阴风动地来 明君祠上望龙堆 堵漏竟是长城卒 日暮沙场飞作灰 砂漠の湖から立ち上る陰気を含んだ風が、大地を削るように吹き渡る。 匈奴に嫁がされた 悲劇のヒロイン、王昭君の墓から 龍体のような砂漠を