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【旧暦の端午の節句】

更新日:2022年10月16日

6月25日は、旧暦の端午節(5月5日)でした。


端午の節句は、菖蒲の節句とも呼ばれます。


日本では、端午の節句に男子の健やかな成長を祈願し各種の行事を行う風習がありますが、中国では端午当日は野に出て薬草を摘み、5色色鮮やかな絹糸を手首足首に巻き病を避け、邪気を払う作用があると考えられた蓬で作った人形を飾り、また菖蒲を門に掛け、邪気を追い払うと同時に龍船の競争などが行われていました。

現代日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲の束を浮かべる菖蒲湯に入る風習が残っていますね。


龍船の競争がなぜ行われるようになったかというと、楚の宰相屈原(前340頃~前278頃)と関係があります。

西暦紀元前300年頃、中国の戦国時代、楚の屈原は、懐王を助けて善政を敷き、名宰相といわれていましたが、陰謀により失脚し、政界より退けられてしまいました。


その後間もなく懐王は、秦の軍勢に捕えられ客死し、屈原は楚の国運を嘆き、汨羅(べきら)に身を投じました。


人民はこれを非常に悲しみ、屈原の遺体が魚に食べられないように「ちまき」を作って川に投げ、龍船(白龍)を浮べて競漕し、その霊を慰めたそうです。


日本の長崎や相生で行われているペーロン祭も、中国から伝わったと言われています。


ペーロンは「白龍」の中国音のbai2long2がなまったものといわれています。(北方の発音ではなかったと思いますが)

福建語の爬竜の発音pe-lingからきたという説もあります。

日本へは1655年に伝来したといわれています。


その当時数隻の中国船が長崎港を訪れた際、強風のため出航できなくなったので、海神を慰めて風波を鎮めるためにこの「ペーロン」競漕を港内でやったそうです。これを見た長崎の人達が競漕を行うようになり、今に引き継がれているようです。


日本と中国の文化的なつながりの深さを感じますね。


写真はキャラ弁作家でもある画家イエ・リンさんの水彩画作品です。



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