【峨眉山月の歌 李白】 李白は盛唐の時代、701年に四川省で生まれています。
母が太白星を見たあと身篭ったとのことで、字名を李太白といいます。
太白星とは金星のことです。
父親は漢民族ではなく、キルギス辺りの異民族だったそうです。李白の風貌もどこか漢人離れしたところがあったのでしょう。
玄宗皇帝の前でベロンベロンに酔っ払って詩を書くことがあったようで、映画「空海」の1シーンにもなっています。
しかし、李白のそんな天衣無縫さを玄宗皇帝は愛します。玄宗皇帝は皇帝でなければ、芸術を愛した、非常に人間らしい人物だったのかもしれません。
また、この詩でも月が取り上げられていますが、李白は非常に月が好きで、作品も月を読み込んだものがとても多いです。
最後は池に映った月を取ろうとして、池の中に落ちて亡くなった、と伝えられています。
峨眉山月の歌
峨眉山月半輪の秋
影は平羌江の水に入りて流る
夜清家渓を発して三峡に向かう
君を思えど見えず渝州に下る
峨眉山、平羌江、清渓、三峡、渝州と地名が並んでいますが、環境案内ではありません。見事に心情が重なっています。
一句目は秋の峨眉山月に半月が掛かっているとのことですが、李白がこの詩を詠んだ頃と当時の暦を調べ上げると、満月だったそうで、なぜ満月なのに敢えて半輪の月なのかと疑問を呈する人がいるそうです。
マニアックな人というのはいつの時代もいますが、好きなものに対する情熱的な行動には驚かされますね。
李白が満月を見て敢えて詩に上弦の月と書いたのは何故なのかを追及するなんて、普通の人間には出来ないことです(笑)
詩仙と称され、その作品は神品と評価されるほど、李白は超越した魅力を保ちつつ、こうして今なお、後人たちに愛され続けているわけです。
大酒飲みで女好き。ちょっとアウトロー的なところもある李白は、飄逸豪放に複雑な時代を生き抜きました。
その作品は確かにこれまで鑑賞してきたどの作品も独特な魅力が感じられ、それは、李白マジックと言ってもいいのかもしれません。
この作品も峨眉山で秋の夜空に浮かぶ上弦の月を首を上に眺めていたかと思うと、今度は青衣江の支流、今の四川省中部峨眉山、東北地方に舞台を変え、月影が落ちた川の水が流れていく様子を首を垂れて見つめているのです。
そして、今度は夜峨眉山付近の清渓という土地を発ち、三峡に向かうのです。
(ここでいう三峡とは今の三峡ダムのある場所でなく、当時三峡と呼ばれていた場所があったようです。)
最後の句に君を思えど見えず、渝州(今の重慶市)に下る、とありますが、いよいよ故郷を離れる時に思う君とは誰なんでしょうね。
これは、峨眉山の月のことだとも、李白の友人のことだとも言われています。
全体を振り返ると、故郷を出た李白が月を追いかけるように各地を転々とし、いよいよ慣れ親しんだ故郷を後にするという時に、月をこよなく愛した彼が峨眉山に浮かぶ月を再び見ることが出来るだろうか、という望郷の念がしみじみと伝わる一方で、月に重ねた人物はいなかったのか?
いたとしたら、いったい誰のことを重ねて思ったのだろうか?という想像もかきたてられます。
28文字の中にこれ程地名をちりばめても、山上の月と、月影を落とした流れの速い川へと場面を変え、時間と空間の移動と、その変化の速さに作者の心の変化が追いつかない不安定な心情が盛り込まれて、とても見事です。
そして最後の句に「君」という一字で「謎」も盛り込んでいるあたり、心憎いですよね!
まさに神品とはこのことかと思います。
写真撮影 藤野彰氏
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